2009年3月1日日曜日

「パリは保守的で閉鎖的だから部外者は孤独にならざるをえない、孤独に墜ちきることから芸術が生まれる」(鹿島茂)

今朝のNHK新日曜美術館で鹿島茂センセーが掲題の名言を:
パリ・芸術の都の誕生|新日曜美術館: "パリが芸術の都になった歴史をたどるとともに、その魅力をゲストと語り尽くす。ゲスト:鹿島茂さん(仏文学者)"
それが出来なかった人(徹底的に孤独になりきれなかった人)はただ溺れてしまうとも。う〜ん。

最近荷風の戦後の作品を読んでいるけど、たいていがつまらない(例外はあるけど)。荷風は、戦前も戦後も、世間との交わりを拒絶して孤独・偏屈だった。でも戦後の荷風は急につまらなくなる。どうしてこんなに違ってしまったのだろうと考えていたけど、鹿島センセーの言葉ではたと膝を打った。

同じ偏屈でも、戦うべき対象があった戦前と、戦うべき相手がいなくなってしまった戦後では、力の入り方がまるで違ってしまったということではなかったか。

荷風にとって戦前と戦後はどっちが幸せだったかは別の話。市川に住んでからの戦後の荷風は、田園散歩を楽しみ、また浅草に出かけ、まことに幸せそうである。あまり幸せだといい作品は書けないのだ。

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